べつの言葉で(2021)
2020年、海外旅行がまだ可能だった時に、行ったことのなかったイタリアを訪れた。新しい国を旅行する時は2冊の本を持っていくのが私の習慣だ。先ず、行くところで舞台された小説を選ぶ。そして、その国の言語のポケット辞書のようなものを。飛行機で辞書のページをめくりながら役に立ちそうな単語に下線を引くことで少し準備が整ったと感じる。
珍しいことにイタリアに行く前に選んだ本は小説ではなく、作家ジュンパ・ラヒリの「別の言葉で」というエッセイ集だった。面白そうと思ったのは、母国語が英語とベンガル語のラヒリ氏はこの本をイタリア語で書いたことだ。左側のページはラヒリ氏がイタリア語で書いたもので、向かって右側は翻訳家アン・ゴールドスタインが訳した英語版だ。
ラヒリ氏はイタリア語を勉強することや、イタリアに引っ越すことなどについて書いたが、これは勉強の方法やコツよりイタリア語への感情を表すエッセイ集だ。簡単に言うと、言葉へのラブストーリーだ。語学好きな私に、響くことが多かった。
子供のころから、なぜか言葉を学ぶのが好きだった。母によると、赤ちゃんの私は時々寝る代わりにベビーベッドでその日覚えた単語を繰り返し喋っていた。その時も自分に厳しい性格だったので、一つの単語を忘れたらわざとベッドのよこぎに頭をぶつけた。言葉をしっかり覚えれば何かの利益があると思っていただろう。
少し早送りすると、中学生の私はフランス語、ドイツ語、ラテン語を勉強し始めた。他の科目はどうでもいいと思った時にさえ、語学だけは頑張ろうっという意思が強かった。フランス人やドイツ人の友達もいなかったし、もちろんラテン語を話す人は知らなかった。それらの言語を使うチャンスはなかったが、なぜか単語を覚えれば覚えるほど良いとまた考えていた。
12歳の時、やっと頭に入れ込んでいだフランス語を使うチャンスが来た。先生と数人かのクラスメートと一緒に、言語交換でフランスのブルターニュ地方に行った。私をフランス人のホストファミリーに紹介した後、先生は「はい、じゃまた明日」と言ってそのまま去ってしまった。
その時まで覚えたフランス語が突然抽象的なアイディアではなくなり、必需品になった。知っていたフランス語を一生懸命思い出しながら、なんとか優しいホームステイファミリーとコミュニケーションがとれた。難しかったけど、言いたいことが言えた達成感は今も覚えている。本物のフランス人はクラスで復習した単語リストに限られずに話したので、どんどん新しい言葉を手帳にメモした。あらためて、単語を増やすことで自由さや可能性も増やせると感じた。
大学が終わったら、東京に引っ越した。行く前に挨拶ぐらいは独学しておいたが、それ以外は日本語が話せなかった。日本語学校に申し込んで、初級者向けの入学試験を受けた。点数は2%だった。自分の名前と、「りんご」という言葉は知っていた。今回失敗して頭をぶつけたのはメタフォだったけど、まだ結構痛かった。泣いてしまった。「はらぺこあおむし」という絵本を初めて読もうとした時も泣いた。授業で数え方を理解しようとした時も。
一つ、一人、一台、一枚、一匹、一羽。などなど。
しかし同時に、だんだん日本語を愛するようになった。手帳をいつも持っていて、聞いたや見かけた日本語をメモした。新しい単語はよく「ポケモン」と頭の中で例えた。絶えずに野生な奴を探して、捕まえようとした。ツタヤからくまのプーさんのDVDを借りて、見ながら「はちみつ」や「どうしよう!」という日本語を必死にメモした。ピータラビットを丹念に読もうとして、「じょうろ」という言葉を捕まえた。
一番わくわくした日本語はお琴の授業で出会った。最初は日本語が話せなかったので先生と簡単な会話しかできなかった。りんごをもらったときに頑張って「あかい!と、あまい!すき!」が言えた。優しい先生ともっと話したかった。時間が経つとともに、もっと長い会話ができるようになったし、新しい単語が捕まえた。
引っ張りだこ。びっくり仰天。ピンピンコロリ。おすそ分け。満艦飾。
日本でまたホームステイをして、非常に明るくて優しいご家族のところに何回か泊まってもらった。そこで愛知県の言葉も習ったし、「癒し料理」や「からくり人形」という日本語を覚えた。新しい言葉を覚えた時に大満足した。今もそうだ。
結局日本を出て、エジンバラに引っ越してきた。なぜ住んでもいない国の言葉を今も必死に勉強しているかと聞かれたら、「好きだから」としか答えられない。仕事で日本語を使う必要は全くない。多分将来もそうだ。小説を翻訳してみたいとよく思うが、まだまだその自信はついていない。日本人の友達と会話をする目的もあるし、お琴の先生に手紙を書くけれど、やはり一番やる気を与えるのはただ単に好きという理由だ。
ラヒリ氏のエッセイを読んで、なんとか安心した。仲間ができたという感じがした。彼女もイタリア語の言葉を集めることで何時間も過ごしてきた。ローマで住むために必要な言葉以上にどんどん単語を集めてきた。ラヒリ氏は言葉をポケモンではなく、籠に集めるベリーに例える。考え方は一緒だ。
ラヒリ氏は結局集めてきた言葉を生かして、こんな素敵な本をイタリア語で書けた。すごいな、としか思えない。私も彼女をインスピレーションにして、もっと日本語で書くことに挑戦したい。